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【講演録】シベリア平原を走り抜けた脱北者 2018年12月8日

この記録は、北朝鮮人権侵害啓発週間にあたって、東京の文京区民センターで行われた講演会で元脱北者の体験を語っていただいた音源を採録したものです。

司会

北朝鮮難民救援基金山下知津子と申します。今日お忙しい中、皆さんありがとうございます。私たちが1998年救援活動をはじめて一番最初に日本に入国された家族の井川勝(イガワ マサル)さんです。大阪から来ていただきました。大変な体験をお持ちです。

この一家の救援にあたりましたのは加藤で、ロシアでハバロフスクから日本に向けて入ってくる直前にロシアのFSB(ロシア連邦保安局)に拘束され尋問を受けた体験もあります。その辺も含めて語っていただきます。それではこれからどう脱北した、北の暮らしの様子、中国滞在の体験等まとめて、まず井川さんにお話しいただきたいとおもいます。

9歳で家族とともに北朝鮮に渡る

 皆さん、こんにちは。私イガワカツ、勝、負けるの「勝」を使ってイガワ勝といいます。朝鮮戦争の時生まれたという意味でお父さんが勝つ、負けるの勝という名前を付けたみたいです。私は9歳の時、1960年8月12日に新潟を出発し北朝鮮清津の港に到着しました。

 小学校2年の時に行ったので、大体のひらがなは分かります。敬語とか難しい言葉はできないけれど、生きるための日本語は、しゃべれたと思いますよ。

 北朝鮮に行ったのは、6人兄弟全員、お父さんお母さんあわせて8人で

す。北朝鮮で40年間生活しました。お父さんは早稲田大学を卒業しました。その時に朝鮮人の差別があまりにも激しいために疲れた、とい言っていました。生活は非常に苦しかったと。一番上の兄が三菱電機高校に入学しましたけれども入学金がなくて泣いていました。

 お父さんが社会主義運動に参加して帰国運動に関わったので、それで皆が北朝鮮に行ったのです。

 

北朝鮮に行った時、最初は貧しい暮らしでした。そこで兄弟皆が学校に通いました。それでも当時はある程度自由もあったし、食べ物はありました。生活は非常に貧しかったですが、そんな苦しい国だとは思わなかったです。

帰国者は手当たり次第に捕まえられた 

父は収容所で亡くなり、大学は退学に

 覚えているのは中学校4年の時、道具を握り始めてからいろんなものを作りました。それから外国の雑誌、本とかいろんなものを読んで調べながら新しい知識を得ました。10代で物を作り始めたと思ったら、それからすぐに自由がなくなってしまったんです。日本から北朝鮮に行った在日帰国者に関しての取り調べがものすごく厳しくなった。手当たり次第に捕まえられたんです。向こうの言葉では「マグチャビ」と言います。

 当時、金正日が実権を握っていて、日本からの帰国者(僑朋)がスパイ容疑者扱いされていたのです。その時代に亡くなった人が大勢いました。僕のお父さんも逮捕されて結果的に収容所でなくなったのです。その時僕の歳がだいたい22,23くらいでした。卒業すれば先生になれる清津の師範大学に通っていましたが、卒業2カ月前に逮捕され、退学処分になりました。大学から、お父さんが国家に対してひどい、悪いことをしたから反逆者の家族だと非難され、それから僕の人生も転んでしまいました。家族全員が調査を受けて、財産もみな没収されて、めちゃくちゃになりました。全員が一生懸命努力しても、生活はものすごく苦しかったです。

餓死が始まり中国に脱出

北朝鮮に二度と戻りたくない

 1995,6年くらいから北朝鮮の配給の制度がめちゃくちゃになって、配給で生きとった国民が飢え死にし始めました。仕事から帰ってきたら、餓死した人達がガチガチに固まって道端で斃れている時代が始まりました。僕もあまり苦しいので、親戚を頼って中国に出ました。中国吉林省にいる朝鮮族の親戚の家に匿ってもらい、テレビを見る機会がありました。「これどこ」って聞いたら韓国、南朝鮮のソウルだというのです。見たら建物がすごく並んでいるし、高層ビルが立っているし、それを一目見ただけで、今まで人生40年を無駄に過ごし続けたと、悟ったのです。2度と北朝鮮に戻りたくない。それで脱北を決心しました。

 どうやって脱北したらいいのか考えたけれども。ここ日本にお母さんの兄さん、伯父さんがいらっしゃったのでなんとか連絡を取ろうと試みました。伯父さんから、脱北者の救援をする団体に連絡が通じ、北朝鮮難民救援基金の加藤先生につながり、先生が中国に来てくださいました。

合法身分を買う

中国は出国したが、ロシアから出国できない

 日本にたどり着くためには越えなければならない幾つもの困難な障害がありました。北朝鮮から中国に来たのは脱北者の身分です。正式な合法的な身分ではありません。もし親戚の人のもとで保護されていなければ、公安(警察)に密告され、北朝鮮に強制送還されます。そうなれば生命は無くなります。ですから何とか合法的な身分を得る必要がありました。中国の親戚の力を借りて、正式の中国パスポートを手に入れ、中国からの出国の準備をしました。これがなければ中国を出国することも、ロシアに行くことも、日本に行くこともできないのは分かっていました。

 次は汽車の切符です。黒龍江省の哈尓浜から内モンゴルの満州里までの切符を買いました。そこで国境を越え、ロシア側のバイカリスクからハバロフスクまでを買うのです。

ロシアの鉄道の切符を買い、ロシアの案内をしてくれたのは、北朝鮮難民救援基金の活動をしていたロシア国籍の金マリアおばあさんでした。私たち家族の命の恩人です。無事にハバロフスクまでの36時間の旅を終えることができました。

 次の段階は日本に行く準備です。ハバロフスクから新潟行きの航空券を買うのは、加藤先生の仕事です。先生は航空会社に行ったのですが、航空券を買うことができませんでした。それは、私たち家族のパスポートに原因がありました。中国の出国地点を通じて戻ると定められた条件がついており、ハバロフスクから新潟に出国できないものだったからです。万事窮す。ここで初めてパスポートの性格を知ったのです。

寛大な措置でロシアを出国

民泊の経営も順調、誇りを持って暮らしてます

 1月22日にロシアのKGB(当時はFSBと新しい呼称になっていた)の捜査官が宿舎のホテルにやってきました。家族全員と加藤先生が拘束されて、5日間取り調べを受けました。外はマイナス30度Cの寒さにもなる時期でした。8か月の赤ん坊もいたので、取り調べはこのホテルの部屋で行う寛大な取り調べとなりました。

 取り調べが終わって自分のホテルに帰る時は、吐く息が眉毛にかかり、それが凍るほどの寒さです。幸い、取り調べを終えて、全員が寛大な措置で無事に日本にたどり着くことになりました。私たちが持っていた全財産は、スパーのプラスチック製の買い物袋4つでした。新潟の税関の検査官が、これで全部か?他に別便で送ったものはないのか?

私はそれでも新潟に到着して日本の土を踏めたのでどんな質問も気になりませんでした。

 来年になると日本に定住して20年になります。今は大阪で正式に許可を取って1DKの部屋20室を持って民泊を経営しています。民泊は私たちの希望であった当時生後8か月の娘の名をつけて「ウネ・ゲストハウス」と命名しました。この事業をやりながらなんとか日本で生活しています。

その時中国でうまれた娘が、今は大学1年生です。この団体の皆さんが私の家族を助けてくれました。ここにいらっしゃる皆さんの関心の中で落ち着いて安定した生活を送っています。北朝鮮の出身であることを恥ずかしく思うこともなく、誇りもって日本で素晴らしい生活をしています。

昨年11月18日、僕の妻もピアノ教室に2年通って、ピアノの発表会に出ました。娘のメグちゃんも高校3年の時に、「我が家が日本に定住したわけ」を紹介した文章作文会で発表しました。

これは雑誌にも載りました。僕の家族は日本にきて皆さんのおかげで幸せな生活を送っています。

日本に行く!?

それは手のひらで茶を沸かすに等しい

質疑応答

質問:山下知津子

ありがとうございました。今お話に出ましたお嬢さんのメグちゃんが書いた作文というのが皆様にお渡ししました資料の中に入っていると思います。かつて、ニュースレターに書いてくれた、これです。「伝えよう、命の作文」、これは大阪市教育委員会が主催した作文コンクールでメグちゃんの作文が入選しました。その作文を私たちがニュースレターに転載させていただきました。ここにメグちゃんの文章があります。奥様についても書いてありますのでどうぞ読んでいただきたいと思います。

それでは、今までイガワさんからからいろんな話を伺っていましたが質問させていただいてもよろしいでしょうか。中国で潜伏中に周りの人から、お前たちが日本に行くのは手のひらでお茶を沸かすようなこと、だと言われたのですね。その話を聞かせてください。

 

答え:姜 勝

僕らが中国にいる時に、朝鮮族が田舎に多く住んでいます。中国の吉林省延辺朝鮮族自治州になります。その一の村に僕らが隠れ住んでいました。北朝鮮から来たのが分かって、村人たちが私たちの家にやってきました。北朝鮮から来たくせにどうやって日本に行くことができるのかってそんな話までしました。

なんで村人がそんなことを言うのかというと、あまりにも北朝鮮の人の生活は厳しい。お前たちはここで食べることが出来てるし、満足な生活をしてる。北朝鮮ともちがってるから、日本の夢でも見てるのだろう。多分、北朝鮮人の私を馬鹿にしていたのだと思う。

満州里の国境警備兵に誰何

生後8か月の娘の笑顔が危機を救う

質問:山下知津子

大変ご苦労をなさっている中でメグちゃんが生まれたのですが、そのメグちゃんが結局イガワさん一家の命を救ったという劇的な場面もあるのですね。ロシアと中国の国境、マンチュリ(満州里)というところから逃げるんですけれども、そこの国境警備員に誰何されるんですね。その時の話を聞かせて下さい。赤ちゃんのメグちゃんが活躍しました。

 

答え:姜 勝

その時メグちゃんが7か月くらいだったと思いますが、私たちの中国脱出の計画が整って列車でロシア国境に向かいました。中国とロシアは列車のレールの幅が違うのです。列車の車輛も変わるのです。その時全員降ろします。その時、出入国検査と税関検査があります。僕らは中国語でしゃべているし、メグちゃんをおんぶしたり、抱っこしたりしてました。その時に知り合いで案内薬のキム・チャンホが、検査が済んだあとになって教えてくれたのですが、非常に危険な事態だったんです。国境警備兵が、どうしてあの夫婦は中国語があんなに下手なのかを訊ねていた、と言うのです。

その時メグちゃんが警備兵の制服の金ボタンが光ったのを見てニコッと笑ったので、警備兵がメグちゃんの頭をなでながら行けって、と言ったんだと分かった。今再びそこを通れと言われれば、背中に汗が流れます。その時2,3分くらいだったと思いますが、時間は何倍もかかったように思いました。メグちゃんのおかげでやっと通過したのでした。

 

質問:山下知津子

メグちゃんがニコニコしてくれたので、さすがの中国の国境警備兵も行け、行けと言ったんですね。

今も感動しているのですが、それからロシアを出てからですね、それで加藤さんがハバロフスクに迎えに行くのですよね。迎えに行っていろんな手続きの中でイガワさんの持っていた中国パスポートに問題がありました。このパスポートは出国地点から1カ月以内に戻ってくるもので、他の地点から出国できない性質のものでした。結局FSBが寛大な処置をしてくれてハバロフスクから出国できることになりました。

明日は日本に帰るという連絡が私のところに入りました。ハバロフスク空港から新潟空港へ行きますという連絡が入ったので、空港に迎えに行きます、赤ちゃんのミルク、哺乳瓶、オムツなどを持っていきますとロシアとの最後の通信をしました。一周間でしたかね、厳しい調べを受けましたね。

 

答え:姜 勝

ハバロフスクで私たちは、一日2ドルの小さいホテルで過ごしました。家族はその中でも結構快適だと思ったのですよ。明日は日本に行けると話していた時に、突然ロシアのKGB(現在のFSB)の捜査官がやってきたのです。その時メグちゃんは、赤ちゃんだから今まで見てなかった人たちが入ってきたからそれが嬉しくて、拍手しながら迎えたのです。取り調べを担当する一番偉い人が、顔がアジア人だったからでしょう。 

こんな赤ちゃんは何の罪もない。実際の取り調べで事情を理解し、寛大な措置になったと思います。結局、日本総領事館、金マリアおばあさん、KGBの捜査員などの皆さんの助力で、最終にKGBの人たちが空港まで見送ってくれて、パスポート審査官に許可のサインを送っていました。私たちは、氷結した滑走路を転びそうになりながら飛行機のタラップまで走りました。飛行機は、離陸準備が完了して最後の客である私たちを待っていたのです。

FSBとの取引― 紳士協定

ハバロフスク日本総領事館の後押し

質問: 山下知津子

加藤さんも取り調べを受けたわけで、どんな印象でしたか。その取り調べについては。

 

答え: 加藤

姜勝さんが、パスポート持っているって言ったでしょう。私はパスポート持っていれば日本政府が入国を許可すると言う理解でした。しかし、彼が百万円払って手に入れたパスポートは、出国地点から1か月以内にその出国地点に戻るとの条件のついたものだったのです。

そんなに条件が付いたパスポートがあるとは夢にも思わなかったのです。私は、井川さんに世界のどこへでも行けるパスポートを手に入れるように伝えていたので、当然新潟でも、ソウルでもどこでも行けるものだと信じていました。

私は条件が付いているとは知らずに、家族のパスポートをもって新潟行きの航空券を買いに航空会社行ったのですね。このパスポートでは切符は売れませんといわれ、それでパスポートコントロールオフィス(出入国管理事務所)に行って、これでなんとか日本まで行けないかなという交渉したが、それはできないと断られました。

一方で日本の総領事館に行って事情を説明し、日本入国を求めてくれるように、ハバロフスクを出国できるようにロシア極東外交部との協議を要請しました。

私が空港と出入国管理事務所の二か所に同じ案件で相談に行っていたので、日本行きを求めて動いている不審な人間がいるという話が伝わってしまったのですね。それで結局調べを受けるということになったのです。

話をすると長いですが、要するに、その時私がこの家族の人身売買をする怪しい人に思われたのです。それは違うと。その人間は北朝鮮から逃げてきた人で、もともと日本の人たちだと説明して、私のことも説明したのです。

非常に細かくいろんなことを聞かれました。あなたの団体はどういう団体で、代表はだれで、オフィスはどこにあって、オフィスの広さはどれくらいあって給料をいくらもらっていることから、なぜここに来たとか毎日毎日、尋問を受けました。私は別にその寒い取り調べ場所には行かずに済みましたが、ホテルを出ては行けないとい言われていたのです。それで4-5日取り調べを受けたのです。

捜査官は、私に「全てを正直に話しなさい」と繰り返し言いました。私はこの家族を再び中国に戻さないでほしいと、その家族が中国に送りされたら、中国は必ずその家族を北朝鮮に送ると、北朝鮮に送ったら、命がなくなる、そういうことをあなたたちが理解しているのかと私が逆にそれをしつこく聞いたんです。

それについての答えはなかったですけど、私はなぜこういうことをしているかすべて話するとい言いました。私はすべて話することを約束する。あなたたちはこの家族を中国に戻さないとそういうことを約束してくれ。どうしてもこの家族が罪になり刑務所に行くのであれば、私が刑務所に行く。この家族は日本に送ってほしい。そしてこの問題の解決について最終的に紳士協定で処理することに合意しました。これが中国とロシアの違いですね。

私はその時、かつてロシア科学アカデミーの会員と交流があったので、私が言っていること本当か嘘か、聞けばわかるといってモスクワ在住のその人の部署と電話番号と名前と全部伝えました。

私が言っているのは間違いないということを確認したようでした。

それで結局日本政府が了解したら出国させるとそういう風になったのです。その時に、最後に二度と戻ってこない、飛行機に乗って新潟に行ってもいいけど戻ってこないという約束させるのです。それは私が決めることではなく、日本の入国管理局が決めることでしょう。だから私の約束は何の効力もないと、押し問答になりました。

とにかくそれを書かないと出国はできないとFSBの担当官は繰り返します。私は、日本政府の関係者ではなく一民間人だと返事をしました。だから私がそのような内容を私が書いても、日本政府の証明にならないとり返しました。結局、日本に行く家族4人と新潟行きの便に乗ります。そしてこの家族と二度と戻りませんと、書きサインをしたのです。とにかく書け、書けと言われ根負けしました。

問題のパスポートで航空券が買えるのかこれが次の問題です。航空券を買いにいきましたら、以前と同じ窓口の同じ担当者でしたが、航空券を買うことができました。すでにFSBからの根回しがあったのだと確信しました。

これで出国できます。私は日本パスポートだから問題ないですけれども、家族はどうなるのかと思って、心配でたまりませんでした。実際パスポートもって並ぶわけですね、それで審査の番になり、家族のパスポートを渡すと係官がそれはおかしいと、それを持ってすぐ後ろの事務所に行って指示を仰いでいるわけです。そのやり取りが3回、4回あってですね、それはもしかして出国できないかもしれないと再び心配になりました。もしかしたら家族と私を引き離す策なのかとさえ疑いました。

空港の出国ロビーで私たちの後ろに2人一緒に立っている人物が目にとまりました。取り調べをしたFSBの調査官でした。

彼が出国管理官に目で合図をしました。それで行かせてくれました。

空港も、たまった雪が凍っていてですね、歩いて飛行機が止まっているところまで行くのですが、これがつるんつるんカチンカチンでした。 

せっかくオッケ-が出ていたのに、処理が間違えっているから戻って来いと言われたら困る、と思って必死になって飛行機まで転がるように走りました。そういう経緯です。

吹雪の新潟港の暗闇で号泣

母親の遺言と占い師の予言が日本へ導く

質問: 山下知津子

私が新潟空港に迎えに行った時、開口一番、ここからすぐ自分が北朝鮮に戻った時の新潟港に行きたいとおっしゃいました。それでタクシー2台で新潟港に行きました。吹雪の中、タクシーを降りてイガワさんが暗い沖に向かって号泣なさいました。その現場で聞いた声は、暗い沖に向かって人間の声とは思えない号泣でした。その時の気持ちを20年経った今改めてお伺いしたいなと思っています。

 

答え: 姜 勝

僕のお母さんが37歳の時に6人兄弟を連れて新潟から北朝鮮に行きました。お父さんがスパイ疑いで逮捕されて亡くなった後からは一日2回、3回は必ず言いました。「一回だけ日本に行きたい」と・・・。

母さんが亡くなる一週間前に、ここに来て、と言われて、不思議に思ってお母さんの所に出かけました。

お母さんは、自分のお母さんが、16歳の時に結婚して大所帯で余りに生活が苦しく、温かいご飯をあげられなかった、と言うのです。お前が南朝鮮に行ったら、お祖母さんの墓に温かいご飯をお供えしてくれる?そんなことを言うのですね。僕は不思議と思ってですね。なんでだと。北朝鮮から南朝鮮に行けるわけない。なんで私にそんなこと言うの。それはできないと言ってしまったことは、後悔してます。私がその後に脱北することになるとは想像もできませんでしたから。

お母さんは熱心なキリスト教信者

新潟港で亡くなったお母さんに感謝

お母さんの一家は熱心なキリスト教信者です。お母さんがずっと家の中でずっと祈りをしました。昔から、それを僕が聞いていたわけです。  

それで死ぬ前にも「三か所にお供えして」。そんなことお母さんが僕に言ったのです。

不思議に思ったんですけれども、僕が日本にたどり着いて、韓国にあるおばあさんの墓に行ってきました。ちゃんと白いご飯を持って。その時親戚の家兄弟たちに、おばあさんの墓に連れて行って欲しいと頼んだら、供養はきちんとしているから、白いご飯は持って行かなくてもよい、持っていくのはやめなさい、と言うのです。

でも僕は、「お前、文句いうな」と言って、お母さんの遺言通り、白いご飯を備えました。お母さんの顔が浮び上がってね。

中国から日本に来る時も不思議なことがありました。日本に行けるか、行けないか霊媒師(占い師)のおばさんに占いをしてもらいました。

母さんは、僕が日本に行く、韓国でおばあさんの墓に白いご飯をお供えすることを想定した。

それでこの占い師も「あなたの母親があなたを守って大きな水を渡る」と言った。偶然に僕の家族が日本に行けることを予言したのです。新潟に着いた時お母さんや占い師の言葉を感激しながらかみしめました。

私が日本にたどり着けたのは、お母さんのお蔭もあるし、民団のお蔭もあるし、皆さんのお蔭もあるし、いろんな助けを受けて日本にたどり着きました。日本に来て立派な、幸せな生活をしています。皆さん、ありがとうございます。

 

質問: 山下知津子

 それからもう一つイガワさんにお尋ねしたいことがあります。イガワさんの一家が新潟空港に入って、それから東京に一泊して、その翌日上野動物園に行きましたよね。それで私は意外な気がしてびっくりしました。隠れているのに、見つかって北に送還されるかもしれない危機的な状況のなかで、一家で行ってみたいというところに私は感動しました。

 

答え : 姜 勝

人間もそうだし、生き物って、新しい命があって生きる希望がある時、輝けると思います。日本に入ってきて、僕が一番心配にったのは、これまで、49年間世界が違う社会で生きてきて、4人の家族を養っていけるのかが一番心配だったのです。この家族と生きて行ける自信があるかどうかです。この家族をどう養っていけるか、ものすごく心配になって、ホテルではほとんど眠れなかったです。

動物園の前にはホームレスたちが机の上にビールを置いて飲んでいるんです。それを見て聞いたのですよ。あの人たち、どういう人と言ったら、ホームレスだという。この言葉は北朝鮮にはないですね。僕が北朝鮮に49年間いて缶ビールを開けたのはたった4缶なんです。ホームレスさえビール飲んでいる。その時、僕は元気だから、働いたら、やっていけると自信が見えたのですよ。

 

質問: 山下知津子

ありがとうございました。それからご質問のある方がおられましたらどうぞ手をあげてください。

 

答え: 姜 勝

私が経営している民宿は、大阪にあります。日本全国でものすごく流行っていますが、僕は12年前に始まめました。

僕が日本に来てから、妻と力合わせて一生懸命、家族で、一つ一つ経験を積み重ねながら生活してきました。

経験を積み重ねていくうちに、ある不動産会社の仕事を手伝い、仕事を習いました。その不動産会社から部屋を借り、民泊をしてみようと考えたのです。不動産会社の社長に20年間部屋を借りるという形、家賃を払うという条件で賃借を申し出たのです。空き部屋を一部屋ずつ賃借を始めたところ、不動産会社会長は僕らが、

もう一部屋借りられないかという提案があり、次第に賃借物件が増えていきました。こんな形で、2,3年くらいに20部屋の賃貸物件を基礎にした民泊になりました。こうして大きく成長しました。どんな大変ないことがあっても一生懸命、経験重ねて、自分たち頑張った結果だと、僕は皆さんに報告できます。

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