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寄稿 56年ぶりの「母国」訪問記(中)  北送僑胞脱北者連合会 会長 李泰炅 

56年ぶりに故郷を尋ねた筆者

 リッチモンドホテルのフロントでチェックインをし、客室に入った。私たちは荷をほどき、旅行の行程を相談した。天神の地下商店街、大濠公園、福岡タワー、博多の寿司屋、湯布院温泉、ホルモン屋、門司港海底トンネル、唐戸市場、下関大丸・・・。 

サンイル兄さんは6ヵ月前に福岡の生家を訪れたばかりなので、今回は湯布院温泉や福岡観光をして、私の故郷の下関に行ってみようということになった。  

まずは大濠公園に行くことにし、フロントで旅行地図をもらって出かけた。旅行というのは合意が大事で、先頭と後尾があるものだ。今回の旅行の先頭は私が任されていて、後尾はサンイル兄さんが担当した。大濠公園も人に道を聞かなければいけなかった。一番最初に出会った30代半ばのシャープな印象の人に尋ねた。  

「あのー、お尋ねします、ここから大濠公園まではどうやって行けばいいですか?」  

日本で習った通り丁寧に、申し訳ない感じを精一杯にじませて尋ねた。  

「ちょっと待ってくださいね」  

そう言ってジャンバーの内ポケットから携帯電話を取り出して、インターネット検索をしている。忙しいのに私たちのために時間を使わせるのが本当に申し訳なかった。  

「うーん、ここからバスに乗って行くのはちょっと面倒です。ついて来てください!」  

「はい、すみません」  

サンイル兄さんと顔を見合わせてついて行った。  

「旅行で来られたのでしょう?福岡は初めてですか?」  

「はい、この人は福岡出身です。久しぶりに遊びに来て観光地にも行ってみたかったんです、それで・・・」  

「そうですか」  

彼は右腕を前にすっと伸ばして、タクシーを止めた。そして黒くて薄い財布から千円札を取り出し、タクシー運転手に渡しながら言った。  

「タクシーに乗って行ってください。料金は私が持ちますから。どうぞ乗って、旅行楽しんでくださいね」  

強面に見えた彼は、実に情に厚い人だった。最初に見た時はなぜ反対の印象を持ってしまったのだろうか?・・・ 。 

「い、いや、いけませんよ、道を教えてくださるだけでいいのに、あ・・・」  

サンイル兄さんと私は、自動で開いたタクシーのドアをつかみながら、彼のもてなしをどうしていいかわからず慌てた。予想外の彼のもてなしに身を任せ、何度も頭を下げながら「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」と繰り返した。  

タクシーの中でもサンイル兄さんと私は、福岡に到着してからの印象的な出来事に思いをめぐらせながら、日本人の親切さについて話し合った。  

「国民一人一人が国家と民族を代弁することができるのだなあ。義理人情に厚い国民が多いほど、国家と民族のアイデンティティを世界に知らしめる広報の役割を果たすことができる。私の行動、言葉の一つ一つが、韓国のイメージを刷新するきっかけになることもあるのだな」 

誰もが見習うべきひとつの常識のようだ。  

 

◆ 関門トンネルに足跡を残す 

 関門トンネルは世界初の海底トンネルで、下関の誇りだ。幼いころから関門トンネルについての話は何度も聞いていて、忘れ難い記憶として残っていた。 

入り口の広い空間から始まり、あの遠くにかすかに終わりが見えるトンネルは、太い筆で、その墨が乾いてなくなるまで線を引いたように実に美しく、うっとりさせられた。その名高いトンネルに私たちの足跡を残したかった。(編集部注:表紙写真を参照) 

エレベーターで下りると、すぐにトンネルの入り口だった。ちらほらとウォーキングをする老若男女と、自転車をこいで行く人たちが見えた。トンネルの中程で立ち止まり、後ろを振り向いた。前と後にあるトンネルの端には傾斜した入り口が見える。今立っている位置を想像してみた。関門海峡の真ん中に立っているのだ。海の圧迫感が感じられ、地上に開かれた両方の入り口に早く行かなければ、生きていられないのではないかという恐ろしい感覚に襲われた。しかしトンネル内を普通に行き交う人々がいるので大丈夫だ、と自分に言い聞かせた。 

15分間トンネルを歩き、エレベーターにのって地上に上がり、涼しく澄んだ空気で肺をいっぱいに満たした。自転車と一緒にエレベーターに乗って来た人が、地面に埋められた郵便箱のような小さい穴に何かを入れている。「チャリーン、コン」下には説明書きが見える。何だろうと読んでみた。「通行人は無料、原付と自転車は20円」有料ということだ。料金所もなく、誰も見ていない場所でお金を入れて行ったその人の小さな後ろ姿は実に美しかった。 

56年前の幼い自分の姿をみているようだった。 

「鼻水はちり紙で拭き、ポケットに入れておいてゴミ箱に捨てること」 

「公共の場所(人の多い場所)ではむやみに騒がない」 

「落ちていたものは拾って警察に届けること。自分のものをなくしたのと同じように考えよう」 

こんなことを人格教育というのだろうか?幼い頃から守るべき常識を、法のように感じる教養を培った。

 

◆母校にて 

 母校を題材にした話や歌は、数えきれないほどある。誰に招かれるでもなく、待っている人もいないというのに、なぜ母校に行ってみたくなるのだろう? むしろ私にとっては自分を北に送りだした地獄の案内所だ。59年当時、大坪(おおつぼ)に学校があった。多くの生徒たちでいつもガヤガヤ騒がしかった。板で打っただけの平屋だったが、その後4階建てに改築された。 

ある時、どこだったか池のある公園に遠足に行ったのだが、父がカメラを持ってきて担任の先生とクラスの友達の写真を撮って配ってくれた。 こんな時には父をとても自慢に思ったものだった。 

北送事業が始まり、北朝鮮に渡る生徒に見送る生徒たちが、菓子や学用品を餞別に贈り「気をつけて、元気で、後で行くから」という光景が見られた。また会う約束もできず友と別れた8歳の幼い生徒が、今日は56年ぶりに母校に戻って来た。 

ぎっしりと密集した家々の間に細い坂道を見つけて上って行くと、学校の裏門が見えて来た。門はしっかり閉められていて、まるで北朝鮮という国の鎖国政策が朝鮮学校でも実施されているかのように見えた。正門を探していると、上の方にお寺が見えた。「あそこまで上がれば、下に学校がよく見えるんじゃないか?」 

どうにかしてもう少し近くで、もっと細部まで見たかった。学校はこじんまりとコの字型に建てられているが、真ん中付近には自動販売機が見えた。北朝鮮では想像も出来ない自動販売機などというものまで置いて、金日成の思想を教育しているとは。 

暗い気持ちになり、恐ろしくも感じた。あそこに「民族教育」ではなく、「主体思想」、「金日成主義」が流れ込んで、北朝鮮のための工作員が養成されている。日本で北朝鮮の命綱である総連幹部が育成されていると考えると、鳥肌がたった。中に入ってみたいと思ったが、(脱北者である)私の身の安全が保障できないという周囲の助言もあり、諦めた。 

坂を下る途中、ある店に立ち寄った。在日朝鮮人がやっている店のようで、韓国産ラーメンやキムチなどの食料品が多かった。 

「すみません、ここは韓国産の食品がたくさんありますね」 

50代くらいの前掛けをつけた女性と、売り場にはおじいさん(おそらく女性の父親)が椅子に座って店番をしていた。 

「ネー、ハングック シップムル パムニダ(はい、韓国の食品を売っています)」 

韓国語がわかるようだ。遠く離れたこの場所で、韓国語が聞けて嬉しかった。 

「ところで、ここの朝鮮学校は、なぜこんなに静かなんですか?」 

「今は生徒が4、50人しかいないんです。前はたくさんいたんですが、朝鮮というイメージが悪くなって、生徒数も減ったんですよ」 

こんな風に自然に話が始まった。 

「おじいさんは韓国に行かれたことはありますか? 」 

人生の苦労が刻まれた顔には故郷の人に出会った嬉しさが滲んでいた。 

「いいえ、私はここで生まれ育ちました」 

「昔ここの呼び名は大坪で、山際に朝鮮人の部落がいくつもありましたよね?それから溝を深く掘った上に豚小屋を作って、こんなに大きい豚をたくさん育てていたし、酒もいっぱい作って売っていたような場所でしたよね?」 

私は左右の腕を両側にうんと広げて、まるでそこに豚小屋が見えているかのように話した。 

「いや、どうしてそんなによくご存知なんですか?あの頃は大坪だったのが今は地名が変わって神田町になったんです。当時はまあ苦しかったけども、朝鮮人がみんな一つになって助け合いながら、楽しく暮らしたもんです」 

老人は60年前の日々を懐かしがり、穏やかな表情を顔中に浮かべた。良かった事も悪かった事も過ぎた日の懐かしい思い出になるのだ。 

「私は下関が故郷で、この学校が母校なんですよ」 

「ああ・・・そうなんですね。あの時とは状況が随分変わりました。感慨深いですね」 

これが56年ぶりに尋ねた朝鮮学校の母校の現在の姿だった。閑散とした学校は陰鬱な雰囲気で、ひっそりとした中庭はまるで激戦前夜の広場のようだった。

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